Annual Review
No.5 2003.5

リサーチダイジェスト

公共の場におけるマナーをめぐる認識と行動に関する研究

武蔵野女子大学 宇賀神 博

序 言
 今日、公共の場における人々のマナーに起因すると思われるトラブルや訴えに対して、施設管理者や交通事業者等には、安全上の観点はもとより、快適な公共空間の創出と維持のために一定の役割を担うことがますます期待されているように思われる。
 公共の場におけるマナーに関するデータとしては、お茶の水女子大学マナー研究会による1997年の調 査、日本民営鉄道協会による2002年の調査などがあり、どのような行為が迷惑、不快と感じられているか が示されている。これらの中には、直接的で具体的な被害につながるものとそうでないものがあったり、 価値観などの違いとして相対化される可能性のある行為が含まれたりしているため、どのような行為をマ ナー問題の対象として取り扱うかという意味でも、さまざまな問題が提起されている。
 鉄道に限ってみれば、事業者はマナーの問題に手をこまねいていたわけではなく、放送やポスターなど を通じて利用者への理解や協力を訴える形で、各種のマナーキャンペーンを継続的に行っている。それら の試みには創意工夫に富むものも多いが、残念ながら結果として十分な効果を上げているとはいいにくい ようである。
 一方、電車内の着席行動の適正化という目的で当初国鉄中央線電車に導入された7人掛けシート色分け 化の試みは、その後、シートのデザイン要素全体や他の車内アコモデーション要素を含めた設計変更とい う形で、事業者ごとに独自の取り組みが続けられている。これらの努力は、実際に利用者の行動に一定の 影響をもたらしているとみられ、この種の問題への行動科学的、人間工学的アプローチの有効性を示すも のといえる。また、東京急行電鉄の「携帯電話電源OFF車両」や京王電鉄の「女性専用車両」のように、問題 となる可能性のある利用者を除外する形で快適車内空間を創出しようとする試みもある。
 以上のような経緯や現状を踏まえたとき、マナー問題に関して施設管理者等が利用者一般の理解や協力 を得るために、どのような実効的手段を採ることができるのかを明らかにすることは重要であろう。本研 究ではその一助として、公共マナーに関わる利用者の認識や行動についての新たな資料を追加し、それら をもとに議論を深めることとしたい。

公共交通における座席の適正利用を中心としたマナー意識の調査研究
目 的

 代表的なマナー問題である公共交通の座席利用法を取り上げ、電車やバスの優先席の利用実態を踏まえ、質問紙調査により電車の優先席利用を中心としたマナー意識を探ることにより、座席の適正利用の促進条件や、車内快適性の向上のための条件を追求する。
方 法
1. 運行中の電車やバスの中で、優先席や一般席の利用状況を調査した。2002年7〜9月の18日間で電車38両、バス6両に実乗観察した。
2. 電車の優先席利用や一般席での席譲り行動、およびその他の車内マナーなどについて、一般利用者を対象とした質問紙調査を作成した。2002年10月、大学の授業などを通じて調査票160部を配布し、配布
された本人やその家族、知人などによる回答を求めた。
結 果
1.座席の利用状況
(1) 席譲り行動や優先席の利用状況の実例として59ケースが収集された。
(2) 59例は、席譲りの事例が5例、席譲りが期待される場面でそれがなかった事例が19例、混雑時の優先席空席が13例、その他22例であった。
(3) 5例の席譲り行動のうち3例において、その発動者は50代女性であり、他の2例は20代男性と30代女性であった(いずれも推定年齢)。
(4) 電車に比してバスの優先席は、高齢者に利用される傾向が高いようであった。
2.質問紙調査
(1) 有効回答として回収できたのは88部(55%)であり、回答者のうち50名(57%)が若年女性(18〜29歳)であった。
(2) 優先席着席事例19場面についての各当事者(モデル)への許容度の4段階評定結果では、「つえを持った70代の女性」や「足を骨折した50代の男性」などに対する許容度が高く、若年女性は他の回答者より
も同性同世代のモデルへの許容度が高くなる傾向が認められた。また、一般に年齢が高い(70代)という要素がモデルへの許容度を高める傾向がみられた。
(3) 優先席についての意見18例に対する同感度の4段階評定結果では、「一般席でも譲り合うようにした方がいい」、「具合が悪いときは理由のない人(例示された利用条件に適合しない人)でも優先席を利
用していい」、「優先席はぜひとも必要である」などへの同感度が高かった。同感度データの主成分分析により見出された成分は、@優先席の柔軟な利用、A優先席が必要な人の識別性、B優先席を利
用しやすくする条件、C優先席や席譲りの必要性、D座席が必要な人の優先着席、となったが、上記3項目は成分Cに関連するものであった。また、若年女性は他の回答者よりも「席の譲り合いを呼
びかける車内アナウンスを流した方がいい」への同感度が高かった。
(4) 高齢者に席を譲らない理由14例に対する同感度の4段階評定結果では、「ケガをしているから」、「具合が悪いから」、「少しはなれた場所にいて声をかけにくいから」が上位3項目となった。同感度デー
タの主成分分析により見出された成分は、@気後れ、A着席へのこだわり、B理由ある着席、であり、この成分Bに関連する理由への同感度が特に高かった。さらに若年女性においてはその傾向が
顕著であった。
(5) 車内マナーに関わる行為38例に対する不快度の4段階評定結果では、「座席に荷物を置いて他人が座れないようにする」行為などへの不快度が高い半面、マナー問題として取り上げられることの多い車内で携帯電話でメールのやりとりをする」行為などへの不快度は低かった。不快度データの主成分分析により見出された成分は、@他者に直接影響しない挙動、A乗降の円滑さを妨げる挙動、B他者に座席を譲らない態度、C携帯電話での通話、D他者への配慮を欠く挙動、E他者の視線を意識しない挙動、F他者に物理的影響を及ぼす挙動、G他者を威圧する挙動、H占有空間の強引な確保、のほか、「座席に荷物を置いて他人が座れないようにする」、「車内で音を漏らしながらヘッドホンステレオを聴く」行為をそれぞれ代表する2成分とを加えた11成分であった。うち成分@に関連する行為(「車内で携帯電話の電源を切らない」など)への不快度はいずれも低く、若年女性ではさらに低くなる傾向がみられた。なお、逆に若年女性の不快度が高かった行為は「混雑した車内で新聞を広げて読む」(成分Hに関連)であった。
考 察
(1) 優先席利用状況の調査結果は偶発的、限定的な資料ではあるが、50代前後の女性に多いと思われる席譲り行動や、バス優先席の比較的適切な使われ方が注目され、これは日常的な観察経験とも合致
するようである。前者については、一定の人生経験と精神的自由にもとづくコミュニケーション・リテラシーが想定され、また後者については、シート構造や材質の差別化の効果を想定できる。
(2) 質問紙調査は、残念ながら十分な回答数が得られず、サンプルの偏りも防げなかったため、一部の若年女性の考え方を色濃く反映する結果となった。結果自体は特に奇異な印象を与えるものではないが、優先席に関する設問への回答は多分に規範的なものであり、その解釈には慎重を要する。しかしなお、優先席の適切な利用を阻害している認識構造については、それなりに一定の成果を得られたのではないかと思う。特に席譲り行動を促進するうえで「気後れ」を除去することが有効という見通しが得られたことは重要であり、そのためにはもっと環境的な影響力に期待できる部分があるものと思われる。
(3) 車内マナーに関する質問紙調査の結果は、マナー問題についての認識の多様さと複雑さを改めて浮き彫りにしたが、とかく「迷惑」や「不快」の語で一括されがちな人々のふるまいを整理して論じるための足がかりとなるものと思われる。中でも他者への直接的具体的影響がないと認識されていると思われる一連の行為については、それらをとがめる傾向はきわめて弱かった。もちろん、一方でそれらの行為に直接的具体的影響を受けると認識する人々も存在するのであるが、だからといって公共の場でのあらゆる不快感の根を絶つという使命を施設管理者等が引き受けることが妥当であるのかどうか、大いに議論の余地がある。

電車からの降車準備開始時機の調査研究
目 的
 電車乗降時のマナー問題として「降りる人がいるのに先に乗ってくる」行為がしばしば指摘される中で、ひとつの見方として降りる側の行動に着目し、降車のための準備開始時機とその規定要因に関する資料を得る。
方 法
 電車内において特定のロングシートへの着席者全員の特徴をあらかじめ記録し、駅で降車するために席を立った最初の乗客について、その瞬間から電車のドアが開き終わるまでの時間をストップウォッチで計
測した。首都圏の通勤線区で、2002年8〜10月の昼間帯に実施した。
結 果
 16日間で154名のデータが得られ、降車のために席を立ってからドアが開ききるまでの時間は47.2秒から1秒の間に分布し、算術平均は13.1秒(調和平均7.7秒)であった。25%のケースでは、ドアが開ききる約
7秒前まで対象乗客のひとりも席を立たなかった。なお、当事者や環境などの特性との関連では、履物による特別の影響を除いた場合の性差(男性の方が早めに席を立つ傾向)が認められた。
考 察
 今回のデータをどう評価するかは難しいところであるが、鉄道事業者が期待するほどには降車準備は円滑でないといえそうである。減速・停車時の加速度影響の違いから、バスの場合とは逆に、電車では車内
アナウンスにより停車以前の降車準備を促す傾向にあるが、そのような交通手段は他にないという意味で特異的でもある。しかも、乗降が交錯するのも他の交通手段にない特徴であるところに、乗降時トラブル
発生の素地がうかがえる。

総合的検討
 マナー問題は一般に利用者の心がけの問題とされ、施設管理者等は利用者に直接働きかけてその行動を変えようとするのが常套手段であるが、それは果たして実効的であろうか。
 内閣府の2001年の調査では、社会や公共のためにつくしたいと考える青少年は6%前後である。全年齢層を対象とした2002年の別の調査では、国や社会よりも個人生活を重視する割合が33.9%、国民全体の利益よりも個人の利益を優先する割合が30.0%であって、いずれも上昇傾向にある。また、同じ調査の結果では、現在の世相が「無責任」(47.5%)、「自分本位」(40.6%)ととらえられている。少々古いデータだが、富国生命によるサラリーマン対象の調査(1991)では、「さわらぬ神にたたりなし」ということわざに30〜40 %の支持があり、また社会全体に対する自己抑制意識は自分の子どもに対するのと同程度に低い。いずれも、公共の場での人々の節度ある行動を期待するには、とうてい楽観的ではいられないと感じさせるデータである。
 以上のような事情に加えて、人は社会的ジレンマとして知られる心理メカニズムに陥りやすい。公共の場での快適性を実現するにはひとりひとりの努力ないし協力が不可欠であるが、「自分だけが協力したところでどうなるものでも・・・」、「どうせ他の人も協力していないのなら・・・」という意識が生まれやすく、それが一般化すると結果的に快適性は低下してしまうというわけである。
 また、マナーキャンペーンの負の効果として、必要以上にマナー特異者を浮き立たせることにより、公共の場での人々の関係がぎくしゃくしたり、感情的対立や加害行為を喚起したりするということがある。
ある行為がマナーに反するものであるかどうかについて人々の考え方に食い違いがある場合には、特に介入の困難さが高まるであろう。
 このようにみてくると、施設管理者等のマナー問題への今後の取り組み方として、少なくとも二つの方向性が指摘できるように思われる。ひとつは、人々のコミュニケーション促進への働きかけである。たと
えば、席譲り行動を発現しにくくする要因として「気後れ」が考えられるが、これは何らかの形で当事者間のコミュニケーションが成立すれば改善ないし解消する可能性がある。その支援の具体的方法は簡単では
ないが、たとえば車内に穏やかなムードを作り上げて利用者に精神的余裕をもたらすアナウンスの可能性があげられる。今日ではサービスの均一化が進み、個別の柔軟な対応はマニュアルからの逸脱としてトラブルを惹起しかねない状況であるが、かつては個性豊かでユニークな車内放送が車内の雰囲気を和らげることもあった。どの電車に乗っても判で押したように同じようなアナウンスが機械的に繰り返されるので
は、利用者には何のメッセージも伝わらないことになるのではないだろうか。
 もうひとつの方向は人間工学的対策である。金山宣夫(1995)も指摘しているように、自己中心的で責任感の希薄な行動への対処には「道徳心」では限界があり、「人間工学」の応用ないし「システム式」の対応を進めるべきである。金山はその1例として、JR東日本が電車座席の座面を2cm高くして着席姿勢の適正化を図ったことをあげている。座席シートの色分けはその種の先駆的試みであったが、座席が埋まっているときには正しい位置に着座しているのかどうか周囲からわかりにくい。手すりや仕切り肘掛を設けて着座位置の適正化を図っている車両もあるが、もっと簡便な方法として、床・壁・天井まで含めて着座位置に合わせた色分け化を行うこともできる。このような考え方をさらに広げて、利用者が自然に公共の場にふさわしい行動に誘導されるような仕掛け作りを進めることが、実効的手段としてきわめて重要であろう。